思うままに感じるままに

ブログ初心者の学生が、てきとーに書いています。てきとーにご覧いただければ幸いです。

なんでSNSやってないの、と言われます。

こんにちは。

 

どうでもいいことだとは思うが、僕はSNSというものをほぼやっていない。

かろうじてLINEはやっているが、TwitterInstagramは全く手を出していない。

 

いまいち面白さが分からないからだ。

面白さはわからないが、みんながやっているからなんとなく、という人も多いのではないだろうか。

 

普段は思っていても言えないようなことを、思うままに言えるというのは気持ちがいいのかもしれない。

それはなんとなく分かる。今書いているブログだって同じこととも言える。

 

自分のことを多くの人に知ってもらえたり、共感してもらえたり、認めてもらえたり、というのは嬉しいことなのかもしれない。

 

ただ、反対もあり得る。あの人あんなことをしていたと知らないところで話題にされるかもしれない。

自分のプライベートが仲良くもない誰かに、暇潰しのエンタメとして消費されているかもしれない。

 

そもそも、誰がどこでなにをしていようとどうでもいいではないか。

他人に必要以上の興味を持ち、自分を必要以上に発信しているように見える。

なぜ、そんなことをしているのか僕にとっては謎だ。

 

一応付け加えておくと、決してSNS反対派なわけではない。

やるのも、やらないのも自由。本人が楽しいならそれでいいということだ。

 

やっていなくても、ずれた使い方をしていても、それは自由であってそれに干渉することは、助言の体をした価値観の押し付けではないだろうか。

帰郷しました。

実家で過ごすのは、ほっとする感じがして好き。

でも、それと同じくらい帰省している過程もいいと思う。

 

そもそも乗り物に揺られている時間が好き。

何も考えず、ただゆっくりと景色を眺めていられる。

家にいては絶対にできない時間の使い方だ。

 

目指している場所があって、目指す理由もある。そして今そこに向かっている。

その事実がひとときの安心を与えてくれるのかもしれない。

自分は今何かをしていて、決して無駄な時間を過ごしているのではない。

そう感じることで、時間をゆっくりと味わうことができるのではないだろうか。

 

自分がいつも見ている景色を置き去りにし、降りたことのない駅、記憶に残りすらしない景色、かつて見ていた景色へと変わっていく。

今を忘れて過去へ向かっていく。高速で流れる景色と共に、時間を逆行していく。

 

制服を着ているような気分で、見慣れたホームに降りた。

家で何やってるの?と言われます。

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

コロナウィルスがピーク時よりは落ち着いてきたような様子を見せてはいるものの、まだまだ大手を振って外出するのは難しいような雰囲気です。

 

そのため基本は自宅にいるのですが、久しぶりに友人に会ったりすると、いわゆる陽キャ寄りである人たちはお決まりのように、家で何をしているのかと聞いてきます。

 

うわ、まじか。と毎回思うのですが、あれ何なんですか?

 

なぜ聞いてくるのか分かりません。

しかも大体は「何もやってないでしょ、暇でしょ」と言われます。

 

いや、何かやってるし、暇ではないよ。

 

地味な生活もそれはそれで楽しかったりするし、遊んでないからって家で暇してるってのはちょっとずれてない?と思うのです。

 

単純に何をしているのか気になっているのかもしれないし、自分はこんなことしてさ〜っていう流れに持っていきたいのかもしれない。

 

どっちだとしても、それは暇じゃん。で片付けないで欲しい。

 

君たちが暇と呼んでいる時間が、他の人にとっては唯一の楽しみかもしれない。

反対に、君たちが楽しいと言っている時間が、他の人にとっては退屈な時間かもしれない。

 

時間の使い方や感じ方って人それぞれで、自分と近い人と同じくらい正反対な人もいて、でもそれが簡単には確かめられないから、人間関係はこんなにも悩ましい。

 

 

いきなりこんな感じになってすみません。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。